土曜日は国立能楽堂にて催された鸞の会に伺いました。
私と奏がお世話になっている、おお先生の会。
おお先生は「清経」、和幸先生は「弱法師」、
直隆先生は「道成寺」と大変盛大な会でした。
おお先生の「清経」は、泣けました・・・。
この物語は、横笛の名手・平清経が、
源平の戦で都落ちする途中の海で自殺し、
それを知った妻の夢枕に清経が現れるというもの。
清経が舞台に現れる前に、幕が少しだけ上がり
ふっと清経の姿が見えるのですね。
それだけで胸が締めつけられてしまいました・・・。
さらに、清経が橋掛かりから舞台に歩いてくるので、
もう会えないと思っていた清経に、霊の姿になってでも
会えたことが嬉しくて・・・、涙。
清経でのツレ(妻)とは、観客の代わりなのかもしれません。
だから会田先生のツレは控えめで、観客が感情移入しやすい
佇まいでよかった・・・。
(これってすごく難しいのだと思います)
しかも、おお先生の清経が、観ているものの気持ちを
覚めさせることが決してない。
どんどん世界に引き込んでいく。
柳が浦の水平線に落ちていく夕陽も目に浮かぶようでした。
たった一瞬の気の緩みでも、観客は現実に引き戻されてしまうのに、
それが最後までなかった!!!
おかげで観客の私はツレになった感覚に始終陥ってしまっていて、
清経を自分ごととして観ているかのような、
不思議なお舞台を体験させていただきました。
おお先生、ますます素晴らしい芸を見せてくださる!
先生、凄いです!!
道成寺では、囃子方の重要性をあらためて感じた舞台でした。
特に大鼓の亀井広忠先生の掛け声と打ちは、
空間をイメージさせてくれて、スケールを描き、目の前に異なる
世界観が広がっていることを解からせてくださるのだ。
時には空気を切り裂き、白拍子に乗り移っていく鬼の気配を
感じさせ・・・。
このお囃子がたっぷり作った世界で、直隆先生は素晴らしい
道成寺を勤められたと思いました。
鐘入りは、本当に本当にきれいでした。
飛び上がったまま、鐘に消えていきました。
(重いのにあんなに飛べるものだなぁ・・・と感心)
私は女だからかな、鐘から現れた蛇体の女は、
怖いというよりも哀れに見えました。
純粋な一途な想いだからこそ強すぎて、
想いを持て余し、果ては自分を失ってしまう・・・なんて。
もしかしたら、蛇体の女は、焼けるような心身に
祈祷が巻きついて悶えながらも・・・、
楽になりたかったのかもしれない。
抗いながらも狂おしいこの気持ちを助けてほしいと・・・。
(僧の祈祷に抗いを見せつつも、どこか素直に屈したように
思えるのです)
そんなことを感じさせる、直隆先生の道成寺でした。
でも、まだまだ観きれず、感じきれずだわ!
お能は本当に奥深く、見れば見るほどに発見があって。。。
おばあちゃんになったときに、もっと感じられる私でありたいです。
この日、私には大きな再会がありました。
道成寺が始まる前の休憩時間に、
「まゆちゃん!」
と呼び止める声。
振り返ると、ニコニコ笑顔の前夫の母が立っていたのです。
「まさか会うなんて、驚いたー!元気?」
と、昔と変わらない優しさで、私の手を握る。
私も、昔のように
「お母さん・・・」
と呼んでいました。
涙があふれ、周りのお客さまの目があるというのに
どうしても、どうしても涙が止まりませんでした。
前夫と別れて、一番心苦しかったのは、
お母さんが奏と会えなくなってしまったことでした。
それは、前夫が奏を自分の跡継ぎにしないなら
養育費は払いたくない、それで奏に会えなくなってもいい!
と選んだことでしたが、
お母さんの助けと愛情があって、奏は健やかに
赤ん坊時代を過ごすことができたのです。
それなのに、罪のないお母さんに悲しい思いをさせて
しまっていることが、いつも心苦しかった。
「いつか、内緒で奏に会わせてね」
そうですね・・・。
いつか、きっと。。。
本当に、本当に、お母さんに会えてよかった。
ありがとう。
どうか、いつまでもお元気でいらっしゃられますように。
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